岡山県の葬儀における作法としきたり
北は中国山地、南は瀬戸内海に接する岡山県は、備中(びっちゅう)・備前(びぜん)・美作(みまさか)の3つのエリアに大きく分けられます。
肥沃な平地を活かした農業が盛んな備前地方や、沿岸部に水島コンビナートを擁し工業地帯となっている備中地方に対し、美作地方は93%が中山間地域です。
また県南部は温暖な瀬戸内海式気候に属している一方、県北部の中国山地周辺は豪雪地帯になっているなど地域ごとに気候風土も異なります。
こういった事情から、文化習俗も地域ごとに異なるため、葬送習慣にも違いがみられます。
そこで本記事では、岡山県の葬儀におけるしきたりや風習について詳しく紹介します。
もくじ
岡山県独特の葬儀における慣習
岡山県の葬送習慣には関西地方や山陰地方と共通するものも多いですが、しきたりの細部や呼び方が異なるケースが少なくありません。
こういった風習の中には、はるか昔にさかのぼるものもあるようです。
枕飾りのお供えが生米
美作地方の勝央町(しょうおうちょう)や奈義町(なぎちょう)周辺の地域では、枕飾りに「生米」を供えるのが作法されているようです。
一合分の生米を紙に包んだものを、同地区では「枕米(まくらごめ)」と呼びます。
枕飾りのお供えとしては、炊いたご飯を茶碗に山盛りにした「一膳飯」が一般的で、生米のままお供えするのは珍しい習慣といえるでしょう。
参列者がパンを持ち寄る
中国山地を介して鳥取県と接する真庭市や津山市では、葬儀の参列者がパンを持ち寄る習慣があります。
鳥取県や島根県では、葬儀の会葬返礼品として参列者にパンを配る「法事パン」という習慣がありますが、岡山県では正反対の習慣になっています。
持ち寄られたパンは精進落とし(しょうじんおとし)のあとで、皆に配られるのが通例となっているようです。
くがい
岡山県西部の備中地方には、お香典のことを「くがい」と呼ぶ地域があります。
「くがい」は漢字で「公廨」と書かれ、平安時代に国司の給料を表す言葉として使われていました。
当時の給料は「公廨稲(くがいとう)」と呼ばれる米で支給されるケースが多く、「公廨」の財源となる田地は「公廨田(くがいでん)」と呼ばれていたようです。
かつては喪家に対するお香典も米で納めるのが一般的だったため、稲作が盛んだった備中地方では、お香典を「くがい」と呼ぶ習慣が広まったと考えられます。
岡山県に米どころのイメージはないかもしれませんが、「コシヒカリ」や「あきたこまち」などのルーツとなる明治時代のお米「朝日」は、今も岡山県の一部地域で栽培されています。
置き布(おきぬの)
岡山県の一部地域には、故人が生前愛用していた衣服を遺族・親族の女性が持って出棺に立ち会う「置き布(おきぬの)」と呼ばれる習慣があります。
この「置き布」は、葬儀が済んでから菩提寺に納められるのが通例となっているようです。
出棺前に食べる「立飯(たちは)」
岡山県の葬儀では、出棺前に故人と共にする最後の食事として、巻き寿司や助六寿司などを食べる「立飯(たちは)」と呼ばれるしきたりがあります。
ただし美作地方では儀式化しているようで、僧侶と遺族が生米と塩を口にする真似をするようです。
出棺前に食事を摂る習慣は他の地方にも存在し、「出で立ち膳(いでたちぜん)」や「立場の膳」などと呼ばれています。
岡山県に残る伝統的な葬送習慣
岡山県の葬儀では、地域で古くから受け継がれてきた、伝統的なしきたりを見かけることも少なくありません。
特に農村部や山間部では、今でも大切に考えられているようです。
近年まで行われていた土葬
岡山県北部の美作地方に位置する津山市周辺地域では、近年まで土葬による弔いが行われていました。
こういった地域では葬儀社を利用せず、葬式組と呼ばれる近隣住民が祭壇や四華花(しかばな)・幟旗(のぼりばた)などの伝統的な葬具を準備するのが習わしだったようです。
また埋葬地入り口に「仮門(かりもん)」を設置したり、料理を準備したりするのも葬式組が担っていたようで、喪家は一切手出ししなかったといわれています。
湯灌(ゆかん)
日本の伝統的な葬送習慣に、故人の身体を納棺前に洗い清める「湯灌(ゆかん)」があります。
しかし近年では医療機関で亡くなる方も多く、病院では故人の身体をアルコールで清拭する「エンゼルケア」が行われるため、葬儀では「湯灌」を省略するケースも多くなっていました。
最近では遺族のグリーフケアに寄与するとして再注目されている「湯灌」ですが、葬儀の簡素化が進んだ現在では、多くの葬儀社で追加オプション扱いとなっています。
ところが岡山県では、この「湯灌」に積極的に取り組んでいる葬儀社が多く、葬儀の基本プランに「湯灌」が含まれていることも少なくないようです。
弔いの意義が見失われがちな現代だからこそ、こういった取り組みが必要とされているのかもしれません。
夜伽(よとぎ)
山陰地方を含めた中国地方では、通夜のことを「伽(とぎ)」「夜伽(よとぎ)」と呼ぶ地域が多いですが、岡山県も同様です。
「夜伽」とは「一晩中付き添って無聊(ぶりょう:退屈)を慰める」という意味を持つ言葉とされています。
本来の「通夜」も、文字通り夜を徹して遺族が故人に寄り添うものですので、もっとも相応しい呼び方といえるかもしれません。
棺を運ぶ際に「天冠(てんかん)」を付ける
津山市周辺地域や倉敷市など岡山県の一部地域における葬儀では、出棺時に棺を運ぶ方が額に三角形の布を着ける習慣があります。
この三角形の布は「天冠(てんかん)」と呼ばれるもので、死装束の一部にもなっています。
この「天冠」は、故人が閻魔大王の前に立つ際の正装といわれていることから、多くの地域では仏衣一式に「天冠」が含まれているようです。
死者と同じ格好をすることで「現世と浄土の境まで見送る」という意味があるようで、「その先は一人で旅立ってください」という思いを内包しているとされています。
「火車(かしゃ)」の伝承
日本各地には、葬儀の際に遺体を奪いに来る「火車」の伝承が残されていますが、岡山県新見市の高林寺もその一つです。
「火車」の正体は齢(よわい)を重ねた猫(またはネコ科動物)とされているため、故人の遺体から猫を遠ざける習慣のある地域も少なくありません。
真言宗や天台宗・曹洞宗・臨済宗の葬儀では、遺体の上に守り刀を置く習慣がありますが、これも「火車」などの魔物から遺体を守るためという説もあるようです。
愛知県の日間賀島にも「火車」とよく似た「マドウクシャ」の伝承が残されており、遺体を守るためにに筬(おさ:櫛のような形状の機織機の部品)を置く習慣が残されています。
岡山県の葬儀に見られる仏教由来のしきたり
江戸時代前期の岡山藩主 池田光政は神道中心の政策をとっていたため、今でも岡山県は神道の影響が強い地域となっています。
そんな岡山県では、神仏習合理論を通して真言宗が広まったため、浄土系が強い中国地方の中において、圧倒的に真言宗の信徒が多いのが特徴です。
こういった事情からか、岡山県では葬送習慣にも古くから受け継がれた仏教の影響がみられます。
四十九日忌まで7日ごとに立てる卒塔婆
お盆や年忌法要など仏教行事の際には、お墓に卒塔婆を1本立てるのが一般的ですが、岡山県の一部地域では四十九日法要までの期間、7日ごとに7本の卒塔婆を立てる習慣があります。
特に葬儀当日に納骨を済ませる地域で多く見られる風習で、7日ごとの忌日法要に合わせて納められるようです。
仏教では、亡くなった方の魂が浄土に到着するまでに、7日ごとの裁きを受けるとされており、かつては初七日から四十九日まで7日ごとに忌日法要が営まれていました。
しかし現在では、初七日と四十九日の法要以外は省略されることが多く、すべての忌日法要を行う地域は非常に少なくなっています。
岡山県では、この古くからの習慣を今でも大切に扱っているようです。
「講」と「御看経(おかんき)」
岡山県では、講(こう:同じ信仰をもつ方の集まり)が7日ごとに喪家を訪れ、遺族と一緒に念仏を唱える「御看経(おかんき)」が行われます。
遺族は四十九日法要までの期間、故人が無事に浄土にたどり着くことを願って毎日「御看経」を行いますので、7日ごとに講が力を貸すというかたちです。
形式上は追善供養のしきたりですが、講が喪家を訪ねるのは遺族の寂しさを紛らわせるためともいわれています。
同じ信仰を持つ仲間として、遺族の様子をみながら時に励ますといった、さりげない優しさのこもった風習のようです。
山間部で行われる「放生(ほうじょう)」
岡山県の山間部では、一度捕まえた生き物を再び解き放つ「放生(ほうじょう)」が行われます。
「放生」は仏教行事の「放生会」に由来する風習で、捕まえた生き物を殺すことなく逃がすことにより、故人の功徳が積まれるとされているようです。
遺族が故人に成り代わって功徳を積むことで、あの世での故人の扱いが良くなることを願う風習となっています。
おわりに
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