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石川県における葬儀のしきたりと作法

石川県葬儀しきたり

核家族化が進んだ日本では、成人するまで葬儀への参列経験がない方もいらっしゃいます。
このような事情から、都市部を中心に伝統的な葬送習慣が行われることも少なくなっているようです。
しかし古くからのしきたりが受け継がれている地域もあり、石川県もその一つです。

そこで本記事では石川県に伝わる葬送習慣や作法について、分かりやすく紹介します。

石川県の地理的特徴

石川県白山

石川県は南北に長い形状で、日本海に大きく突き出した能登地域と、金沢を中心とした加賀地域で地形が大きく異なります。
能登地域のほとんどはなだらかな丘陵地が占めますが、加賀地域は2700mを超える白山を最高峰とした山岳地帯と、加賀平野を中心とした平野部に分かれます。
こういった生活環境の違いから地域ごとに生活習慣も異なるため、葬儀に関するしきたりにも地域ごとに特徴があるようです。

豊かな水と肥沃な土壌をもたらす白山は山岳信仰の対象となり、白山信仰と結びついた天台宗が強い影響力をもちました。
しかし室町時代後半以降は浄土真宗の隆盛にともない、天台宗は徐々に北陸での影響力を失っていったようです。

石川県は浄土真宗王国

親鸞聖人

現在では日本でもっとも多くの信者をもつ浄土真宗ですが、開祖の親鸞聖人は自らを「非僧非俗」と称し寺も弟子も持たなかったため、なかなか勢力を伸ばせずにいました。
しかし本願寺第8世住持職の蓮如上人が近畿地方での布教を断念し、石川県と福井県の境に位置する吉崎に坊を構え住持したことで転機を迎えます。

蓮如上人は地域の人々との交流を通して布教を続け、次第に北陸での勢力を拡大したようです。
また遠方の宗派門徒に向けて、浄土真宗の教義を分かりやすくひらがな表記した「御文(手紙)」を送ることで、熱心な信者を獲得します。

その後、農業技術の向上に伴い力を付けた農民と結びついた浄土真宗は、一向一揆により守護の富樫政親を倒して、加賀一国を「百姓の持ちたる国」として事実上の支配を確立しました。
こういった事情から、現在でも石川県を含む北陸一帯は浄土真宗門徒の多い地域となっています。

浄土真宗での葬儀のしきたり

浄土真宗は数ある仏教宗派の中でも独特の教義をもつため、葬儀におけるしきたりも他宗派とは大きく異なります。
また方角や日の吉凶などの迷信・俗信を信じないため、魔除けの守り刀やお浄めの塩といった習慣もありません。

門徒物知らず

「門徒もの知らず(もんと ものしらず)」とは、かつて他宗派の人々が浄土真宗門徒を表現した言葉です。

全国的に友引には葬儀を避けるのが一般的ですし、通夜・葬儀に参列して帰宅した際には塩でお浄めをするのが通例です。
しかし友引は日の吉凶を占う六曜にもとづくもので、仏教とは関わりがありません。また仏教では死を穢れとして捉える考えはなく、お浄めは神道由来の慣習です。

こういった慣習は、当時の人々にとって災いから身を守るため大切な儀式とされていました。
しかし、浄土真宗門徒は迷信に囚われることなく、日常に起こる災厄をあるがままに受け入れて暮らしていました。
俗説に惑わされることなく生活する浄土真宗門徒の姿を、仏教の作法を知らない人々と揶揄して「門徒もの知らず(もんと ものしらず)」と表現したようです。

通夜・葬儀でも「御仏前」

御仏前

浄土真宗では、人は亡くなるとすぐに阿弥陀如来の力で浄土にいたるという「往生即成仏」の考えから「霊」という概念がありません。
そのため他の仏教宗派とは異なり、通夜・葬儀でもお香典の表書きを「御霊前」ではなく「御仏前」とします。

旅支度はしない

仏教では、人は亡くなると7日ごとに仏様の裁きを受けながら、浄土に向けて49日間の旅に出るとされています。
そのため仏式の葬儀では、手甲(てっこう)・脚絆(きゃはん)・頭陀袋(ずだぶくろ)などの旅支度を故人に着せて見送るのが一般的です。

しかし浄土真宗では、亡くなった方はすぐに浄土に生まれ変わるとされているため、旅支度を身につけさせる習慣はありません。
故人は簡素な白装束に身を包むのみで、他宗派のような枕飾りも用意されず、末期の水も不要とされています。

石川県の葬儀の特徴

石川県では伝統的な葬送習慣が今も受け継がれており、さまざまな宗教由来のならわしも行われています。
また地域に暮らす人々と寺院とのつながりの強さを感じる習慣も少なくありません。

喪服は白

石川県の加賀地域の一部では、喪主が白装束を身につける風習が残されており、能登地域の一部(珠洲市など)では女性遺族が白帷子(しろかたびら)を着用するしきたりが受け継がれています。
現在では喪服といえば黒が一般的ですが、もともと日本の喪服は白が主流でした。

かつて黒はおめでたい席で身につけるのが一般的で、現在でも結婚式で女性が黒留袖を身につけるのはその名残といわれています。
一般庶民が喪服として黒を着用するようになったのは、第二次世界大戦以降とされており、日本の長い歴史の中では比較的最近です。

お浄めのぬか

前述したとおり「お浄めの塩」は神道由来のしきたりですが、かつて神社に神饌(しんせん:神様への捧げもの)として稲穂が供えられていたことから、石川県では塩にぬかを混ぜて身体に振りかける習慣があります。
ただし浄土真宗での葬儀では、こういった慣習が行われることはありません。

骨壷が小さい

骨壷

石川県の加賀地域では、火葬した遺骨の一部を骨壷に納める「部分収骨」が主流です。
また遺骨の一部を菩提寺に納める習慣があるため、骨壷は4寸ほどの小さめのものと、2寸ほどのさらに小さな骨壺に分骨するケースも多いようです。

一方、能登地方では収骨の際に陶器の骨壷ではなく、桐などで作られた骨箱を使用するのが通例です。
東北地方や北陸地方などの寒冷地では、冬の寒さで骨壺が割れてしまうこともあるため、骨箱を使用する地域もあります。

性別で忌明け時期が異なる

仏式の考えでは四十九日の法要をもって忌明けとするのが一般的ですが、石川県の一部地域では男性は49日、女性は35日で忌明けとする習慣があります。

仏教では、人は亡くなると浄土に向けた旅に出るとされており、7日ごとに7回の裁きを受けて浄土にいたるとされています。
35日目は五七日(ごしちにち:5回目の裁きの日)にあたり、閻魔大王によって行き先が決められる重要な日とされていることが元となった習慣のようです。

葬儀当日に納骨

石川県では葬儀当日に菩提寺に足を運び、分骨した遺骨の一部を納める習慣があります。
残りの遺骨は四十九日の法要を済ませてから、家のお墓に納骨するのが通例です。

まとめ

葬儀社さんのコラムとしてこのような記事の掲載をおこなっておくと、喪主様・ご遺族様・ご参列の方々も分かりやすく、興味を持たれる内容かもしれません。

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