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和歌山県の葬儀における作法としきたり

和歌山の葬儀しきたり

和歌山県は、弘法大師が開いた真言宗の総本山である高野山 金剛峯寺(こんごうぶじ)のお膝元です。

また「熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)」、「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)」、「熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)」からなる「熊野三山」など、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」には、多くの観光客が訪れています。

こういった事情からか、和歌山県の葬儀にまつわる風習には信仰の影響を感じるものが少なくありません。

本記事では、特徴的な和歌山県の葬儀に関するしきたりや作法について詳しく紹介します。

近隣県とは異なる和歌山県の葬儀における風習

和歌山県は近畿地方に属していますが、関西圏の葬送文化とは異なる習慣もいくつか存在します。
関西地方の葬送文化は合理的なものも多いですが、和歌山県では縁起を担ぐ傾向が強いようです。

扇子を壊して屋根に投げる

不祝儀扇

和歌山県の葬儀に着物で参列する場合は、長襦袢(ながじゅばん)と足袋(たび)以外は黒で統一するのが作法とされており、扇子も黒一色の不祝儀扇(ぶしゅうぎせん)を用いるようです。

この扇子ですが、葬儀終了後には要(かなめ:扇の軸の部分)を壊し地紙を破ってから、屋根の上に向けて投げ捨てる風習があります。
葬儀に使ったものを持ち続けるのは縁起が悪いという考えから、こういった習慣が残されているようです。

友引と三隣亡(さんりんぼう)は葬儀を避ける

全国的に「友引」の葬儀は避けられる傾向がありますが、三隣亡(さんりんぼう)に葬儀を控えるのは和歌山県ぐらいかもしれません。

もともと三隣亡は建築関係の忌み日(いみび)とされており、この日に建築をすれば隣近所3軒を焼き滅ぼすといういわれがあります。
仏教とは全く関係ないのですが、隣3軒を滅ぼすというイメージから葬儀を避けるようになったようです。

仏教と無関係という意味では「友引」も同様で、もともとは日の吉兆を占う六曜由来の考えです。

古くは「共引」と書かれており、勝負がつかない引き分けの日という意味で、特に縁起が悪い日というわけではありませんでした。
しかし、いつの間にか「共引」から「友引」に字が入れ替わったことで、友達を連れて行くというイメージが強くなり、葬儀を避ける風習が広まったとされています。

県南東部では「前火葬(まえかそう)」も

熊野古道
熊野古道

関西地方は全般的に葬儀後に火葬を行う「後火葬(あとかそう)」が主流ですが、和歌山県の新宮市や那智勝浦町では、葬儀前に荼毘(だび)に付す「前火葬(まえかそう)」を行う地域があります。

「前火葬」はかつて交通の便が悪かった地域に多くみられる習慣で、親族が揃うまでに時間がかかることから、遺体が傷んでしまうのを防ぐため先に火葬を済ませるといわれています。
和歌山県の南西部は険しい山間地ですので、「前火葬」の習慣が根付いたと思われます。

「前火葬」の地域における葬儀は、祭壇に遺骨を安置しての「骨葬(こつそう)」になるため、葬儀から参加した方は故人の顔を拝むことができません。
もし顔を合わせてからお別れしたい場合は、事前の確認をおすすめします。

宗教的な影響を感じる和歌山県の葬送習慣

和歌山県では、僧侶ではなく地域の老人会が通夜の読経を担うほど、信心深い方が多い地域といわれています。
地域に残る葬送習慣も、仏教の影響を感じさせるものが少なくありません。

葬儀後の還骨勤行(かんこつごんぎょう)

後飾り祭壇

火葬した遺骨は遺族が自宅に持ち帰りますが、その際に和歌山県では「還骨勤行(かんこつごんぎょう)」という儀式が行われます。

「後火葬」の地域では自宅に、「前火葬」の地域では葬儀場に「講(こう:同じ信仰を持つ人の集まり)」の方が集まり、火葬場から帰ってきた遺族を迎えます。
「講」によって手洗い用の桶と柄杓と水・盛り塩が用意されているので、火葬場から帰ってきた遺族は両手を水で洗い、塩でのお浄めを受けてから家に入るのが一般的です。

家に入ったら満中陰祭壇(後飾り祭壇)に遺影や位牌・遺骨を安置し、僧侶による読経と焼香が行われます。

講(こう)による御詠歌(ごえいか)

和歌山県の一部地域(紀南地方や高野山周辺地域など)では、還骨勤行の際に「講」の方々が「御詠歌(ごえいか)」を唱える習慣があります。
また県西部の日高郡周辺地域では、通夜式の際に「御詠歌」が歌われることもあるようです。

「御詠歌」とは、仏様の教えを五・七・五・七・七の和歌形式にしたもので、独特の旋律にのせて詠唱されます。
「御詠歌」の内容は宗派によって異なりますが、中には鉦鼓(しょうこ:鉦や鈴・打楽器など)を鳴らしながら歌うこともあるようです。

和歌山県の高野山 金剛峯寺を総本山とする真言宗では、金剛流・密厳流(智山派)・豊山流(豊山派)・東寺流(東寺派)の4流派があります。

骨のぼり

高野山金剛峯寺

高野山 奥之院には、真言宗信徒に限らず、弘法大師の遺徳を偲ぶ方々の遺骨が祀られています。
和歌山県だけでなく、大阪府や奈良県など近隣地域から、遺骨の一部を分骨して納骨される方も多いようです。
こういった習慣を和歌山県では「骨のぼり」と呼び、高野山を水源とする河川流域で盛んに行われています。

「骨のぼり」は葬儀の翌日に遺族が遺骨をもって高野山を訪れるのが習わしで、その道中では骨壷に水を掛ける「お茶湯(おちゃとう)」を行いながら、奥之院を目指します。

満中陰法要での傘餅(かさもち)

曹洞宗や天台宗・真言宗・浄土宗などでは、満中陰(四十九日忌)法要の際に「傘餅(かさもち)」をお供えする習慣がありますが、高野山のある和歌山県にも同様のしきたりがあります。

「傘餅」は、小さい餅を49個積みあげた上に、平らに広げた大きめの餅を乗せるのが一般的で、お供えした「傘餅」は法要終了後に、僧侶自ら切り分けてくれることもあるようです。
切り分けた餅は、杖をもち笠をかぶった弘法大師の修行の姿になるように並べ変えます。

「傘餅」の由来は定かではありませんが、庶民が墓石を立てる習慣がなかった時代に、埋葬地に石を49個積み上げて、最後に大きい石を乗せた習慣がもとになったという説もあるようです。

 

出棺にまつわる葬儀のしきたり

かつて土葬が主流だった時代の葬儀は村人総出が当たり前で、さまざまなしきたりに則って行われていました。
和歌山県には、土葬時代から続く葬儀のしきたりが今も受け継がれています。

野辺送り(のべおくり)の復活を試みる地域も

葬列

遺族や親族・集落の人々が葬列を組んで棺を埋葬地まで運ぶしきたりは「野辺送り(のべおくり)」と呼ばれます。
しかし亡くなった方のほとんどが火葬される現在では、「野辺送り」の習慣が失われている地域も少なくありません。

和歌山県西部の印南町など日高郡の一部では、この「野辺送り」の儀式を復活させようという取り組みが行われているようです。

「野辺送り」は、基本となる「位牌」「飯」「水桶」「香炉」「紙華」「天蓋」の役割を担う親族はじめ多くの人々が、しきたりを守って厳か(おごそか)に行う必要があります。
とはいえ、しきたりの多くは土葬を想定して決められているため、火葬に合わせた調整には苦労も多いようです。

故人の茶碗を割る

近畿地方から九州地方にかけた地域の葬儀では、出棺の際に故人愛用の茶碗を割るという儀式が広く行われています。
現世への未練を断ち切るという意味があるようで、やはり故人の成仏を祈るしきたりです。

この茶碗割りは伝統的な葬送儀式ですが、近年では周辺住民への配慮から、茶碗を布などで包んでから割る地域も少なくありません。

門火を焚く

門火

和歌山県の葬儀では、出棺の際に藁(わら)などで「門火(かどび)」を焚く習慣があります。

「門火」は故人の旅立ちを見送る「送り火」の役割を果たすとされていますが、出棺後は急いで蓋をかぶせて火を消すのが習わしです。
これは「門火」からあがる煙を消すことで、故人の魂から家の場所を隠す意図があるといわれています。

戻る家を見失わせることで、故人の魂が迷わず成仏することを願う、遺族の気持ちが込められた風習のようです。
「門火」の習慣は近畿地方を中心とした西日本では、広い範囲で行われています。

おわりに

葬儀社様ホームページのコラムとしてこのような記事の掲載をおこなっておくと、喪主様・ご遺族様・ご参列の方々も分かりやすく、興味を持たれる内容かもしれません。

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