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鳥取県の葬儀における作法としきたり

鳥取の葬儀しきたり

「因幡の白兎」で有名な鳥取県は、神話の時代から因幡(いなば)・伯耆(ほうき)と呼ばれ、長い歴史をもつ地域です。
また仏教寺院では曹洞宗が圧倒的に多く、鳥取県の葬送習慣に強い影響を残しています。

しかし鳥取県は2022年4月現在、全都道府県の中でもっとも人口が少ない県(548,479人)となっており、東京都八王子市の人口(562,469人)を下回る状況で、文化継承のためにも人口減少対策が急務となっています。

参照:2022年4月調査 市町村別 人口・世帯数(鳥取県)
八王子市 令和4年度(2022年度)町丁別世帯数及び人口

本記事では、鳥取県の葬儀における独特な葬送習慣について詳しく紹介します。

鳥取県の葬儀における出棺時のしきたり

出棺

葬儀における出棺は故人との最後のお別れを意味するため、出棺時に特別な儀式を行う習慣が各地に残されています。
これは鳥取県も同様で、遺族の「故人が迷わず成仏できるよう」といった気持ちが込められているようです。

「そうれん」にまつわる習慣

かつて主な弔いの方法が土葬だった時代は、僧侶や遺族・親族・近隣住民が葬列を組んで柩(ひつぎ:故人を納めた棺)を運ぶ「野辺送り(のべおくり)」が行われていました。

鳥取県では「野辺送り」のことを「そうれん」と呼んで、火葬が主流となった現在でも大切にされているようです。

善の綱(ぜんのつな)

鳥取県の葬儀において、出棺時に柩や霊柩車に白い布を結び付けて、女性参列者が引っ張る「善の綱(ぜんのつな)」という習わしがあります。

「善の綱」の由来は、藤原道長の日記とされる「御堂関白記」の「来迎仏(らいごぶつ)の手から5色の糸が垂れ、道長の手に結ばれる」という記述とされています。
そのため各地の寺院における御開帳の際に、ご本尊様の中指に結ばれた5色の布に参詣者が触れて、ご利益にすがるという行事が行われているようです。

鳥取県の葬儀における「善の綱」は、故人を善処に導く綱という意味が込められています。

縁の綱

鳥取県には「善の綱」と非常によく似た「縁の綱」と呼ばれる葬送習慣があります。
出棺のタイミングで、柩に白い布を巻いたり結びつけたりする点は「善の綱」と同様ですが、しきたりの持つ意味は全く異なります。

「縁の綱」に用いられる白いさらしは非常に薄くちぎれやすいため、故人との縁を切るという意味合いがあるそうです。
やや薄情に感じるかもしれませんが、「故人が成仏するためには現世への未練を断ち切る必要がある」との考えから行われている風習とされています。

かつては長いさらしを用いていましたが、現在では参列者が白い布を手に持つことで代用する地域も少なくないようです。

鳥取県の葬儀で耳にする鉦の音

鳥取県の一部地域では、葬儀の終わりや出棺時などの節目に、仏具の1つである「鉦(かね)」を鳴らすしきたりがあります。

「鉦」とは、銅または銅合金で作られた円形の蓋状の打楽器で、東南アジア起源といわれているようです。
日本では仏教宗派の多くで使われていますが、神道儀式や歌舞伎・舞踊などの鳴り物として広く利用されています。

葬儀においては、読経の際に木製の撞木 (しゅもく)で叩いて利用するのが一般的ですが、鳥取県では出棺の合図として鳴らされているようです。
「鉦」は鳥取県に多い曹洞宗寺院でも、日常的に利用されています。

鳥取県における土葬の習慣

現在の日本では、亡くなった方の99.9%以上が火葬で弔われますが、火葬が一般に普及したのは明治時代以降で、それまで土葬が主流でした。
鳥取県は、比較的最近まで土葬の習慣が残っていた地域です。

山間地では近年まで土葬だった地域も

鳥取県の山間部など一部地域では、2000年代に入ってからも土葬が行われていました。

昭和23年(1948年)に制定された「墓地、埋葬等に関する法律」では、土葬自体は禁じられていないため、実は現在でも土葬は可能です。
とはいえ、ほとんどの自治体では条例で土葬に制限が掛けられているため、実際に土葬を行うのは非常に困難な状況といえるでしょう。

しかし「墓地、埋葬等に関する法律」施行前に、行政から墓地としての利用を許可されてきた場所は、諸条件を満たせば引き続き「みなし墓地」として利用可能です。
こういった事情から、鳥取県の一部地域では土葬が続けられてきましたが、近年ではほとんどの地域で火葬に切り替えられているようです。

鳥取県の山間地における土葬の特徴

瓶

鳥取県の山間部などでは、大きくて丸い甕にご遺体を納めて埋葬する習慣がありました。
この甕は通常時に食料などの備蓄にも使われるもので、山間地は冬季の積雪量が多いことから、暖かい季節に用意しておくのが常となっていたようです。

しかし全ての家で買い置きがあるものではなかったため、冬季に不幸があった場合は集落の家から甕を借りて埋葬を済まし、春になってから購入した甕を返していたとされています。
鳥取県では、この甕を「瓶(へい)」と呼ぶこともあるようです。

鳥取県の葬儀で見られる独特の習慣

鳥取県の葬儀にまつわるしきたりは、極端に特異なものは少ないものの、他地域とは違った呼び方をされるものが少なくありません。
また地域によって火葬のタイミングが異なるなど、地域によって違いがみられるのも特徴の一つです。

伽(とぎ)・夜伽(よとぎ)

鳥取県では、通夜のことを「伽(とぎ)」または「夜伽(よとぎ)」と呼ぶ習慣があります。
こういった呼び方は中部地方や近畿地方でも多くみられ、愛知県では遺族が通夜で食べられるように、お菓子などの「夜伽見舞い」を差し入れる習慣があります。

「伽」や「夜伽」には「夜通し付き添う」という意味があるので、本来の通夜に相応しい呼び方といえるでしょう。

枕飾りに団子4個

枕飾り

安置された故人の枕飾りには、ご飯を山盛りにして箸を刺した「一膳飯」を供えるのが一般的ですが、鳥取県では団子4つの「送り団子(おくりだんご)」が供えられます。

他の地方でも枕飾りに「枕団子」を供える習慣はありますが、6個(六道*に由来するとされる)や49個(四十九日忌に由来するとされる)の地域が多いようです。
鳥取県の「送り団子」が4つなのは、発音が同じ「死」「四(し)」を結び付けたものといわれています。

*六道:亡くなった方が輪廻(りんね)する行先である「地獄道」「餓鬼(がき)道」「畜生(ちくしょう)道」「阿修羅(あしゅら)道」「人間(にんげん)道」「天道」を指す言葉です。
行先は生前の行いによって決まるとされており、六趣(ろくしゅ)とも呼ばれます。

前火葬(まえかそう)と後火葬(あとかそう)が混在する鳥取県

鳥取県では全般的に、葬儀後に火葬を行う「後火葬(あとかそう)」が主流ですが、米子市や境港市など漁業が盛んな地域では、葬儀の前に火葬を済ませる「前火葬(まえかそう)」が行われます。
遺族が駆けつけるまでに時間がかかる地域で、広く行われている「前火葬」は、遺体が傷むのを防ぐためのしきたりともいわれています。

境港などで行われている沖合漁業は、一度出港すると数日は戻らないため、身内の訃報に触れても早急に駆け付けることはできません。
こういった事情から、葬儀の前に荼毘(だび)に付す「前火葬」が取り入れられていると考えられます。

葬儀で配られる「法事パン」

鳥取県の葬儀では、古くから会葬返礼品として葬式饅頭を配るのが通例となっていましたが、現在では「法事パン」が主流となっているようです。
もともとは隣県の島根県から始まった習慣のようで、あんパンやメロンパン・ジャムパンなどが仏事専用袋に包装されて配られています。

「法事パン」の習慣が広まった経緯は定かではありませんが、かつては高級品だったあんパンを、わざわざ葬儀に足を運んでくれた弔問客へのもてなしとして配ったのが始まりという説もあるようです。

茶の子

香典返し

 

鳥取県を含む中国地方から四国・九州地方にかけての地域では、香典返しの表書きを「茶の子」とする習慣があります。
もともと「茶の子」はお茶請けの菓子を指す言葉でしたが、いつしか粗品全般に使われるようになったようです。

現在では、葬儀当日に引き出物を渡すことで香典返しとする「即返し」も増えていますが、県東部の鳥取市周辺地域では従来通りの忌明け(四十九日法要)後が主流となっています。
葬儀当日は、会葬返礼品の「茶の子」として「法事パン」が配られるのが一般的です。

おわりに

葬儀社様ホームページのコラムとしてこのような記事の掲載をおこなっておくと、喪主様・ご遺族様・ご参列の方々も分かりやすく、興味を持たれる内容かもしれません。

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