北海道の葬儀における作法としきたり
北海道は九州と四国を合わせたほどの広さをもち、島全体で行政単位が1つという特徴があります。
地域により地形や気候風土が異なり主な産業にも違いがみられるため、葬送習慣も地域ごとに異なるようです。
そこでこの記事では、北海道の葬儀の特徴について詳しく紹介します。
地域の葬儀社様には必要不可欠な情報もありますので、ぜひ最後までご覧ください。
もくじ
北海道の葬送習慣の特徴
北海道の生活習慣やしきたりは、非常に合理的という特徴があります。
厳しい気候風土の北海道で生き抜くためには、互いに助け合い効率的に物事を行う必要がありました。
そのため葬儀にまつわる作法や習慣も、相互扶助と合理性にもとづくものが少なくありません。
そもそも北海道の「道(どう)」とは
明治時代に廃藩置県が行われるまで、日本は小さな国(藩)ごとに治められており、各国は東山道・北陸道・東海道・山陰道・山陽道・南海道・西海道・畿内(山城・摂津・和泉・河内・大和)に地域分けされ、五畿七道(ごきしちどう)と呼ばれていました。
明治時代になって以降、五畿七道に蝦夷地(えぞち)と呼ばれていた北海道が加わって、日本の領地は五畿八道となりました。
北海道も一時期は「函館県」「札幌県」「根室県」の3県に分けられましたが、行政の不均衡などの理由から、北海道全土が1つの行政区として扱われるようになりました。
その後の廃藩置県により他の七道は各都道府県に行政区分されましたが、北海道だけは分割されなかったため、そのまま現在でも北海道と呼ばれています。
北海道の葬送習慣が地域によって異なる理由
現在では520万人ほどが暮らす北海道ですが、人口が増え始めたのは明治時代以降です。
東北・北陸地方を中心に、さまざまな地域から移住してきた方々が、北海道全土に散らばって生活を始めました。
地域ごとに漁業や林業・農業・酪農など主な産業も異なり、生活スタイルの違いから習慣やしきたりにも違いがみられます。
こういった事情から、葬儀にまつわる習慣も古くからの伝統的な風習ではなく、地域の生活実態に合わせた独特のしきたりが多いようです。
火葬のタイミング
北海道では地域によって火葬のタイミングが異なるため、葬儀に参列する際は注意が必要です。
北海道では全般的に、通夜→葬儀→火葬の順で行う「後火葬(あとかそう)」が一般的です。
しかし道南の函館市周辺では仮通夜→火葬→本通夜→葬儀・告別式の順に、道東の根室市周辺の地域では通夜→火葬→葬儀・告別式の順に行う「前火葬(まえかそう)」が主流となっています。
なぜ函館や根室で「前火葬」が主流になったかについては、多数の死者を出した連絡船洞爺丸の沈没事故の際に、遺体が傷むのを防ぐために葬儀前に火葬されたのが始まりなど諸説あるようです。
「前火葬」の習慣は東北地方などにも存在し、道南の一部は津軽藩だったこともあり、東北地方の葬送習慣から影響を受けたという説もあります。
かつては遺体保存技術も未熟だったため、東北の漁師町では皆が漁から戻る前に火葬してしまう習慣が根付きました。
ニシン漁が盛んだった道南地域や、サケ漁・カニ漁など漁業が中心産業の道東地域で「前火葬」が行われるようになったのも、当然の流れだったのかもしれません。
地方紙のおくやみ欄
新聞の「おくやみ欄」と聞くと、政財界の著名人や芸能人などの訃報をイメージされるかもしれませんが、北海道では一般の方でも「おくやみ欄」を利用するケースが多いようです。
地方紙の北海道新聞では、葬儀の連絡を入れると無料で「お悔やみ欄」に掲載してくれます。
また有料のチラシを使って、葬儀日程の告知を行う方もいるようです。
香典に領収書
北海道の葬儀では受付で香典を渡すと、その場で開封されて金額を確認され、領収書が発行されます。
一般的な葬儀では、受付での金額確認も領収書の発行も行われないため、他の地域から参列される方は驚くことも多いようです。
北海道では親族が北海道全土に散らばって暮らしているケースも多く、特に冬季に親族内で不幸があった場合、葬儀に参列できない方も少なくありませんでした。
そのため参列する親族に香典を立て替えてもらうケースも多く、後で清算するために領収書が発行されるようになったとされています。
香典返しは即日
基本的に香典返しは忌明け後に贈るのがマナーとされていますが、北海道では即日返しが多いようです。
通夜・葬儀の当日に渡す会葬返礼品を、香典返しの代わりとするのが一般的です。
香典の額に関わらず、2,000円~3,000円ほどの返礼品を参列者全員に一律に渡します。
相互扶助意識の強い北海道では、遺族を助ける意味で香典を渡す方が多いことから、こういった葬送習慣が広まったようです。
ただし、頂いた香典が非常に高額の場合は、後日あらためて香典返しを送ることもあります。
祭壇(さいだん)前で記念撮影
北海道では通夜式後や葬儀・告別式後に、親族全員が揃って祭壇前で記念写真を撮る習慣があります。
そのため北海道の葬儀社の中には、葬儀プランにカメラマンの派遣サービスや、写真の焼き増しが含まれているケースもあるようです。
広大な北海道では親族が一堂に会する機会は少ないため、葬儀は貴重なタイミングとなります。
こういった事情から、通夜・葬儀で写真を撮る習慣が広まったようです。
忌中引き(きちゅうびき)
本来は亡くなった日の7日後に行う初七日法要ですが、現在では葬儀・告別式に続いて葬儀当日に行うケースも少なくありません。
忌日法要を繰り上げて行うことを、繰上げ法要や取越法要といいますが、北海道では「忌中引き(きちゅうびき)」と呼びます。
通常、繰り上げ法要は初七日法要までですが、北海道では四十九日の法要まで行われるケースが多いようです。
前述したように冬季の気候が厳しい北海道では、親族がたびたび集まるのは難しいことから生まれた葬送習慣とされています。
葬儀当日に忌中引きを行った場合も、遺族だけは後日あらためて四十九日の法要を行うようです。
収骨は骨箱(こつばこ)または納骨袋(のうこつぶくろ)
故人の遺体を火葬場で荼毘(だび)に付したのち、遺骨は骨壷に納めるのが一般的です。
しかし北海道の中でも内陸部は、冬の気温が-30℃以下になることもあるため、あまりの寒さに陶器の骨壷は割れてしまうこともあります。
そのため北海道では、骨壷ではなく桐の骨箱(こつばこ)や、布製の納骨袋(のうこつぶくろ)に収骨するケースが多いようです。
霊柩(れいきゅう)バス
葬儀後に火葬場に向けて出棺する際、棺は霊柩車で搬送し、親族などの参列者はマイクロバスや自家用車で火葬場に向かうのが一般的です。
しかし北海道では、遺族や親族が乗るバスに棺も一緒に乗せるのが通例となっています。
冬季には雪が降り積もることの多い北海道では、複数の車で火葬場に向かうより1台のバスで向かった方が合理的と考えられているようです。
棺と柩の違い
『棺』と『柩』は、どちらも『ひつぎ』と読みますが、大きな違いがあります。
『棺』は棺桶そのものを指しますが、『柩』は『棺』に遺体を納めた状態のみ使用します。
そのため遺体を『棺』に納めることを「納棺(のうかん)」といい、遺体を納めた『柩』を搬送する車を「霊柩車(れいきゅうしゃ)」と呼びます。
霊柩車(れいきゅうしゃ)がクラクションを鳴らす理由
自宅や葬儀場から出棺する際に、霊柩車が少し長めにクラクションを鳴らすことがありますが、この葬送習慣の由来については諸説あるようです。
参考までに、いくつか紹介します。
野辺の送りの名残
かつて土葬(どそう)が主流だった頃は、遺族や親族・近隣住民などが葬列を組み、棺を担いで墓地まで運びました。
その際にシンバルのような鼓鈸(くはつ)や鉦(かね)などの仏具を鳴らしながら、僧侶が同行したようです。
こういった事情から、群馬県や栃木県など北関東の一部では、現在でも葬儀のことを「ジャンボン」と呼ぶことがあります。
しかし火葬が一般的になった現在では葬列を組むこともないため、その代わりにクラクションを鳴らすようです。
一番鶏の鳴き声
日の出とともに鳴り響く一番鶏の鳴き声には、闇を祓い、明るい朝に導く力があるといわれています。
そのため以前は一番鶏の鳴き声とともに出棺し、埋葬(まいそう:遺体を埋めること)してから葬儀を行うこともあったようです。
しかし現在では葬儀・告別式後に出棺するケースが多いため、クラクションを一番鶏の鳴き声の代わり鳴らすとされています。
弔砲(ちょうほう)・汽笛(きてき)の代わり
軍人などの葬儀の際に弔意を表すために、大砲や銃で空砲を撃つ習慣があります。
大砲で行う場合を「弔砲(ちょうほう)」、銃で撃つ場合を「弔銃」と呼ぶ習慣です。
また遺体保存技術が未熟だった時代には、出港後の船で死者が出た場合は遺体を海に流していました。
その際に弔意を表すために汽笛を鳴らしていました。
こういった弔意を表すための儀式の代わりとして、クラクションが鳴らされるようになったという説もあるようです。
しかし現在では、周辺住民に配慮してクラクションを控えるケースも増えています。
おわりに
葬儀社様のコラムとしてこのような記事の掲載をおこなっておくと、喪主様・ご遺族様・ご参列の方々も分かりやすく、興味を持たれる内容かもしれません。
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