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愛知県の葬儀における作法としきたり

愛知県の葬儀しきたり

愛知県は名古屋市を中心とする尾張地方と、岡崎市を中心とする三河地方に大きく分けられ、言葉や文化が異なります。
しかし葬送習慣については同じ地域内でも細かい違いがみられ、両地方に混在している習慣も少なくありません。
また名古屋市を中心とした都市部では、大手葬儀社が提供する画一化された葬儀が受け入れられつつあるようです。

そこで今回は愛知県の各地に伝わる葬送習慣について、詳しく紹介します。
愛知県各地域の伝統的な葬送習慣を受け継ぐためには、葬儀社様の努力が不可欠ですので、ぜひ最後までご覧ください。

さまざまな葬送習慣が混在する愛知県

名古屋城

東日本と西日本の中間に位置する愛知県は、関東・関西両方の葬送習慣が混在するという特徴をもちます。
特に収骨については、関東と関西では対照的といえるほど習慣が異なりますが、愛知県では隣接する市町村で収骨の習慣が異なるケースも珍しくありません。

「前火葬(まえかそう)」と「後火葬(あとかそう)」

全国的には通夜・葬儀・火葬の順に行われるのが一般的ですが、さまざまな事情から葬儀の前に火葬を行う地域も少なくありません。
愛知県では、葬儀後に火葬を行う「後火葬(あとかそう)」と、葬儀の前に火葬を行う「前火葬(まえかそう)」の地域が入り混じって存在します。

尾張地方は全般的に「後火葬」が主流ですが、知多半島の常滑市や美浜市・南知多町には「前火葬」の習慣が残されています。
しかし同じ知多半島でも、武豊町は「前火葬」から「後火葬」に変わったようです。
他にも沿岸部や山間部などの一部で「前火葬」の習慣が残っているようですが、徐々に「後火葬」が主流になりつつあるようです。

「全部収骨(ぜんぶしゅうこつ)」と「部分収骨(ぶぶんしゅうこつ)」

収骨

焼骨の全てを骨壺に納める「全部収骨(ぜんぶしゅうこつ)」が主流の関東地方の方は驚くかもしれませんが、関西地方では喉仏などの主要な部分の遺骨だけを骨壺に納め、残りの遺骨は火葬場に残したままにする「部分収骨(ぶぶんしゅうこつ)」が一般的です。

愛知県内では尾張地方は全般的に「部分収骨」が多く、三河地方は「全部収骨」が主流となっています。
しかし地域によって習慣が明確に分かれている訳ではなく、どちらの地方にも「全部収骨」と「部分収骨」の習慣が混在している状況です。
そのため名古屋市の火葬場で「全部収骨」を希望する場合は、事前に申し込んでおく必要があります。

食べ物に関する習慣もさまざま

愛知県では葬儀にまつわる食事にも地域ごとに違いがみられ、同じ名称の習慣でも内容が微妙に異なるケースもあるようです。
隣接する三重県と共通する習慣もあります。

「出で立ちの膳(いでたちのぜん)」と「涙汁(なみだじる)」

唐辛子

愛知県の尾張地方では、葬儀の際に唐辛子を丸々1本入れた「涙汁(なみだじる)」を食べる習慣があります。
この「涙汁」を食べる習慣には「あまりの辛さに涙が出る」と「辛さで葬儀の疲れを取る」という2つの意味があるようです。

同じ「涙汁」でも、三重県の桑名市と木曽川を挟んで隣接する地域では、唐辛子ではなく胡椒(こしょう)を使います。
そのため「胡椒汁」と呼ばれることもあるようですが、この習慣は木曽川両岸で共通です。

この「涙汁」は葬儀の際の「出で立ちの膳」で出される料理です。
かつて土葬が主流だった頃は、出棺前に力をつける意味で「出で立ちの膳(いでたちのぜん)」を食べる習慣がありました。
「出で立ちの膳」という習慣自体は残されていますが、現在では「精進落とし(しょうじんおとし)」の代わりとして、葬儀後に行われるケースが多いようです。

お淋し見舞い(おさびしみまい)

愛知県には葬儀に参列する方が「お淋し見舞い(おさびしみまい)」を持参する習慣があります。
「お淋し見舞い」とは、夜を徹して故人に付き添う遺族に、食べ物を夜食として差し入れる習慣です。
「お淋し見舞い」として持ち寄るものは個包装されたお菓子や果物など、その場ですぐに食べられるものが多く、集まる量が多い場合は参列者に配られることもあります。

同様の習慣は隣接する三重県や関東地方の一部でもみられますが、他の地域では「夜伽見舞い(よとぎみまい)」などと呼ばれているようです。
遺族に対する思いやりを感じる葬送習慣ですが、名古屋市などの都市部では徐々に消えつつあります。

愛知県の葬送習慣

出棺や遺体の扱いにまつわる習慣は、全国各地で地域独自のしきたりが存在しますが、愛知県も例外ではありません。
かつて土葬が中心だった頃の名残とされる習慣も、多く残されています。

出棺に関する習慣

尾張地方の一部では棺の下に筵(むしろ)を敷き、出棺の際に筵を持って叩く習慣が残されているようです。
また南知多では出棺の際に藁(わら)を敷き、その上を霊柩車が通って火葬場に向かった後で、藁を燃やす習わしが残されています。

どちらの習慣も、故人の霊に帰る家を見失わせて、迷わず成仏させるための風習とされています。

枕経(まくらきょう)までは生きている?

僧侶

知多半島の南端に位置する南知多町周辺では、僧侶が枕経(まくらきょう)をあげるまでは遺体を生きている人と同様に扱う習慣が残っています。
そのため遺体を安置した後も灯明はつけず、線香を手向ける(たむける)こともしません。
僧侶が枕経をあげて家を出てから、やっと線香を手向けられるようになります。

枕経とは、故人が仏弟子(ぶつでし)となって迷わず成仏できるように、臨終(りんじゅう)の際に授けられる経文です。
しかし現在では病院などの施設で亡くなる方が大半を占めるため、息を引き取った後で行われるケースがほとんどです。

日間賀島では遺体に猫を近づけない

猫

知多半島の沖合にある日間賀島には、葬儀の際に遺体に猫を近づけさせないという風習があります。
この習慣は、日間賀島に残されている妖怪の化け猫と火車(かしゃ)を合わせたような「マドウクシャ」の伝説が由来です。

「マドウクシャ」は百歳を超えた猫が化ける妖怪で、葬儀の際に遺体を奪うとされています。
そのため日間賀島では、遺体の上に筬(おさ:櫛のような形状の機織機の部品)をおいて害を防ぐようです。

焼香銭(しょうこうせん)

碧南市や高浜市周辺では、焼香盆のそばに100円玉を置く「焼香銭(しょうこうせん)」の習慣があります。

「焼香銭」の習慣は各地にみられ、線香が高価だった時代に線香代として集められたのが始まりとされています。
しかし愛知県では「三途(さんず)の川の渡し賃」として、故人のために供えるようです。

「内位牌(うちいはい)」と「野位牌(のいはい)」

豊田市などの西三河地方では、葬儀の際に白木の位牌を大小二つ用意する習慣があります。
大きい方を「内位牌(うちいはい)」、小さい方を「野位牌(のいはい)と呼び、葬儀では両方を祭壇に安置します。
「内位牌」は出棺の際に故人の胸元に入れられ、葬儀後は遺族が「野位牌」だけを持ち帰るようです。

土葬が中心だった頃の名残といえる習慣ですが、もともとは「内位牌」を家に残して、「野位牌」は埋葬地に墓石の代わりに置くものでした。
しかし愛知県では、なぜか逆になっているようです。

郊外では通夜に喪服は着ない

名古屋市など都市部以外の郊外では、古くからのしきたりを大切に受け継いでいるため、現在でも通夜式に参列する際は喪服の着用を避ける傾向があります。

現在では東京など大都市圏を中心に、通夜式でも喪服を着用するのが一般化しつつありますが、かつてはマナー違反とされていました。
突然の訃報に接して、取るものも取らず駆けつけるはずの通夜式に喪服を着て参列するのは、亡くなるのを待っていたようだと捉えられたためです。

しかし交通網の発展により移動時間が短縮されたため、通夜式までに着替える時間は十分にとれるようになったことから、最近では喪服の着用も許容されるようになっているようです。

おわりに

葬儀社様のコラムとしてこのような記事の掲載をおこなっておくと、喪主様・ご遺族様・ご参列の方々も分かりやすく、興味を持たれる内容かもしれません。

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