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群馬県の葬儀における作法としきたり

群馬

群馬県は、周囲を福島県・新潟県・長野県・埼玉県・栃木県に囲まれた内陸県です。
しかし現在では県西部エリアに属する高崎を起点に、上越新幹線や北陸新幹線をはじめとした鉄道網や、関越道・上信越道・北関東自動車といった幹線道路が整備されているため、日本海側にも太平洋側にもアクセスしやすい状況となっています。

こういった環境のため、周辺地域からさまざまな文化的影響を受けていますが、葬儀にまつわる風習も例外ではないようです。
そこで今回は、群馬県の葬儀にまつわる習慣について詳しく紹介します。

群馬県の葬儀における独特なしきたり

群馬県の葬儀に関するしきたりには、他地域ではみられないような珍しい習慣も少なくありません。
また群馬県から周辺地域に広まったと思われる葬送習慣もあります。

生活改善方式

群馬県の葬儀では、受付が「一般」と「新生活」の2つに分かれているケースが少なくありません。
「新生活」と書かれた受付は、群馬県の高崎市を中心に推進されている「新生活運動」の趣旨(しゅし)に賛同される方用の受付で、こういった形式の葬儀は「生活改善方式」「公民館方式」などと呼ばれているようです。

新生活運動とは

戦後間もない頃の日本は貧しく、冠婚葬祭行事の費用にも事欠く状況で、お布施やご祝儀の費用負担も困難な状態でした。
しかし冠婚葬祭には、古くから地域に根付いたしきたりや慣習があり、無理をしてでも費用を拠出する方も多かったようです。

こうした状況を鑑(かんが)み、虚礼(きょれい:見栄をはった礼儀)を廃して冠婚葬祭行事も簡素に行い、遺族・弔問客双方の経済的負担の軽減を目的として展開されたのが「新生活運動」です。
民間だけでなく自治体が先頭に立って「新生活運動」を推進するケースもあり、全国的な広がりをみせました。

しかし日本が戦後復興を果たし、経済が右肩上がりの高度成長期にはいると、質素倹約を旨とする「新生活運動」も徐々に下火になり、推進する自治体も減少していったようです。
とはいえ完全になくなったわけではなく、群馬県高崎市も現在まで運動を継続してきた自治体の1つです。

群馬県高崎市における冠婚葬祭改善運動

新生活香典

高崎市は自治体として「新生活運動」を推進しており、葬儀に関しても以下のような申し合わせを推奨しています。

  • 香典は、1,000円にしましょう
  • お返しは辞退し、礼状のみ受け取るようにしましょう
  • 施主は会葬の御礼状を用意し、お返しは用意しないようにしましょう
  • 通夜では弔問者にお清め(カップ酒、砂糖等)は用意しないようにしましょう

出典:高崎市ホームページ「新生活運動の推進」

「新生活」受付で渡す不祝儀袋には「御霊前(浄土真宗ではご仏前)」の表書きに加え「新生活運動の趣旨に従い香典返しを辞退致します」などと書き添えておきましょう。
群馬県のコンビニや文具店では、あらかじめ香典辞退の記載された不祝儀袋も市販されているようです。

お香典の金額による「一般」「新生活」受付の使い分け

新生活

「生活改善方式」で行われる葬儀の「新生活」受付に出すお香典の金額は、1,000円~3,000円となっています。
「新生活」受付で5,000円以上のお香典を渡すと、かえって受付係を困惑させてしまうので、避けたほうが無難です。

しかし他の地域から参列する方は、無理に生活改善方式に合わせる必要はありません。
「一般」受付であれば高額のお香典でも問題ありませんし、香典返しも行われるのが通例となっています。

故人との関係性から、5,000円以上のお香典を出したい場合は「一般」受付を利用しましょう。

忌中告知

臼

群馬県では忌中告知の方法として「竹竿の先に位牌を結び付けたものを門前に立てる」「臼(うす)の絵を描いた半紙を横に倒して貼り付ける」といった慣習があるようです。
臼は横にしては使えないことから「喪(も)」を表現しているようですが、これと似た習慣に東京都多摩地区の「逆さ臼」の習慣があります。

臼を用いた葬送習慣は他にも存在しますが、その由来については諸説あるようです。
臼はもち米を搗いて(ついて)餅にするための道具ですが、搗きたての餅の白い色が浄化(じょうか)の力をもつからという説もあります。

かつては、不幸があった家の玄関に貼り付けられた「忌中札」ですが、近年では見かけることも少なくなっています。
上記のような葬送習慣は、群馬県でも都市部では徐々に少なくなっているようです。

頭陀袋に桑の葉

仏式の葬儀での納棺の際には、故人に手甲(てっこう)脚絆(きゃはん)経帷子(きょうかたびら)の旅支度を身につけさせるのが一般的です。
この旅支度に含まれる「頭陀袋(ずだぶくろ)」に、三途の川の渡し賃として「六文銭(ろくもんせん)」の絵が描かれた紙を入れる習慣が残されています。

しかし群馬県の葬儀では「六文銭」に加え、桑(くわ)の葉や枝を入れるしきたりがあるようです。

世界遺産「富岡製糸場」がある群馬県は古くから養蚕(ようさん)が盛んで、生糸の生産量は昭和29年から日本一を保っており、日本で生産される生糸の1/3を占めるといわれています。
蚕(かいこ)の餌(えさ)として桑の葉は欠かせないものですので、こういった葬送習慣が生まれたのかもしれません。

ではの飯・でがの飯

でがの飯

群馬県の農村部では、葬儀のあとで山盛りの一膳めしを1本箸で食べる、あるいは食べる真似をする「ではの飯」「でがの飯」と呼ばれるしきたりが残されています。

葬儀の際に、塩や豆腐・ごはん・餅といった白色の食べ物を口にする習慣は全国各地に残されていますが、基本的には「お浄め」の要素が含まれているようです。
日本では「白」という色には穢れや魔をはらう力があるという考えがあり、喪服も戦前までは「白」が主流でした。

また「精進落とし(しょうじんおとし:葬儀後に行われる会食)」を「お浄め」と呼ぶことがあります。
現在では、塩を身体に振りかける「お浄め」が主流となっていますが、故人と縁のある方々が集まって酒食を共にする行為こそ「お浄め」と考える地域もあるようです。

「でがの飯」の風習の正確な由来は定かではありませんが、こういった諸事情から生まれたのかもしれません。

通夜振る舞い(つやぶるまい)で刺身

刺身

近年ではあまり厳格に守られていませんが、本来の「通夜振る舞い(つやぶるまい)」は忌中の食事であることから、肉や魚などの「生臭もの」を避けるのが基本です。
しかし群馬県の「通夜振る舞い」では、あえて刺身を食べるケースも少なくありません。

群馬県は内陸県ということもあってか刺身の消費量も多く、特にマグロの消費額では常に上位に入っています。
こういった事情から参列者へのもてなしとして提供されていると思われ、「通夜振る舞い」に出される刺身のことを「きよめ」と呼ぶ地域もあるようです。

野辺送りに由来する葬儀の風習

群馬県の農村部など郊外地域では、土葬時代の名残を感じる葬送習慣が今も行われています。

かつて土葬が弔いの中心だった頃は、遺族や近隣住民が葬列を組んで棺を墓地まで運ぶのが通例となっており、このしきたりは「野辺送り(のべおくり)」と呼ばれていました。
現在では火葬が主流となっていますが、北関東では近年まで土葬が行われていたこともあり、当時の習慣が残されているようです。

ジャンボン

くはつ

日本各地に葬儀のことを「ジャンボン」と呼ぶ地域がありますが、群馬県もその1つです。
この習慣は土葬時代の葬列の様子にもとづくもので、他にも「ジャンボー」「ジャボ」などと呼ぶ地域もあります。

かつて「野辺送り」が行われていた時代は、葬列の先頭に僧侶が立ち「鼓鈸(くはつ)」や「鐃鈸(にょうはつ)」と呼ばれる、シンバルのような打楽器を鳴らしながら進みました。
この様子を音で表したのが、葬儀を「ジャンボン」と呼び習わすようになった所以(ゆえん)です。

撒き銭(まきせん)

群馬県の葬儀では、出棺の際に半紙にくるんだ小銭を参列者に撒く「撒き銭(まきせん)」の習慣があります。
また県内の一部地域では、5円玉に水引を結び付けた「長寿銭(ちょうじゅせん)」を、遺族から参列者に配るケースもあるようです。

医療技術が現在ほど進んでいなかった時代、80歳を超える長寿を全うする方は非常にまれでした。
そのため長寿を全うした方の葬儀には、一見すると「祝い事」のようなしきたりが各地に残されています。

「撒き銭」や「長寿銭」を持ち帰ると、故人の長寿にあやかって長生きできるといわれています。
また「撒き銭」や「長寿銭」のしきたりには浄財(じょうざい:寄付や施し)としての面もあり、故人に功徳を積ませる効果があると信じられていたようです。

三叉路で枕団子づくりの道具を燃やす

枕飾り

故人を安置する際の枕飾りとして「枕団子」を供える習慣は各地に残されていますが、群馬県東部でも3つの枕団子を供えるのが作法とされています。
地域によっては真ん中をへこませた「水飲み団子」を供えるケースもありますが、枕団子を作る際に使用した木べらなどの道具を「三叉路(さんさろ:3本の道が交わる点)」で燃やす風習があります。

古来より三叉路は、さまざまなものが集まる場所といわれており、あの世とこの世の境目とも捉えられてきました。
そのため、死穢(しえ)に関わるものを処分する場所として、最適と考えられていたようです。

近隣他県と共通する葬送習慣

群馬県は5つの県に囲まれているため、さまざまな文化的影響を受けているようで、隣接する地域と似通った習慣もみられます。
特に浅間山をはさんで隣り合う長野県との共通点が多く、葬送習慣も例外ではありません。

隣組(となりぐみ)・隣保班(りんぽはん)・勝俣班(かつまたはん)

 

勝俣班

かつての日本には、近隣住民の相互扶助組織が町内会の中にあり、地域によって「隣組(となりぐみ)」や「隣保班(りんぽはん)」などと呼び習わされてきました。
こういった地域コミュニティを九州地方では「勝俣班(かつまたはん)」と呼ぶ習慣がありますが、長野県と群馬県にも同様の呼び方をする地域があります。

組内に不幸があった場合は、遺族に代わって「隣組」が葬儀を取り仕切ることもあるようです。
こういった地域コミュニティは、地方でも都市部を中心に減少傾向にありますが、群馬県では高崎市など都市部でも機能しています。

骨葬

葬儀の流れとしては、通夜式→葬儀・告別式→火葬が通例となっていますが、群馬県内でも長野県側の地域では葬儀前に火葬を行うのが一般的です。
葬儀は遺骨を祭壇に安置して行う「骨葬(こつそう)」となり、長野県の中南信地域に属する松本市周辺でも同様の習慣があります。

他の地域の方からみると、葬儀の前に火葬を行う習慣は不思議に感じるかもしれませんが、東北地方や北陸地方などの雪深い地域や山間地などでは、「骨葬」は珍しくありません。
「骨葬」は今ほど交通手段が発達していなかった時代に、親族が集まるまでに時間が必要だった地域で、遺体の腐敗を防ぐために広まった葬送習慣とされています。

位牌分け(いはいわけ)

位牌分け

故人の位牌は通常1つで、野位牌(のいはい:土葬時代に墓石代わりに埋葬地に置かれた位牌)の習慣が残る地域でも2つですが、群馬県では子供の数だけ位牌を作る「位牌分け(いはいわけ)」が行われています。

他の地域の方から見ると奇異に感じるかもしれませんが、実は位牌を複数作ることは仏教において何の問題もありません。
仏教における位牌は故人そのものを表すのではなく、遺族と故人を結ぶ場所(窓口のようなもの)として扱われています。(諸説あり)

それぞれの位牌は故人の子供世代の家で別々に祀られるため、子供が既婚者の場合は1軒の家に両家の位牌が祀られることも、「位牌分け」の習慣がある地域では珍しくありません。

「位牌分け」の習慣は、群馬県以外にも長野県や山梨県・静岡県などでも行われています。

おわりに

葬儀社様ホームページのコラムとしてこのような記事の掲載をおこなっておくと、喪主様・ご遺族様・ご参列の方々も分かりやすく、興味を持たれる内容かもしれません。

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