山形県の葬儀における作法としきたり
山形県は県域の約75%を山地が占める山がちな地形で、散在する平野部も山々に遮られているため、かつては往来も困難でした。
そのため県内の文化風習も、村山地方(むらやま:山形市・天童市など)、最上地方(もがみ:新庄市など)、置賜地方(おきたま:米沢市など)、庄内地方(しょうない:鶴岡市、酒田市など)の4つのエリアで違いがみられます。
また幕藩体制下では、庄内藩・新庄藩・山形藩・米沢藩とそれぞれ小藩に分かれていたことも、文化的相違の要因とされています。
もくじ
伝統的な葬送習慣を今に残す山形県
言語学的にみると、山形県・秋田県の方言は平安時代の京ことばの影響が強いようです。
かつて「出羽の国」と呼ばれた山形・秋田両県では、葬儀にまつわるしきたりも共通点が多く、古代から連綿と受け継がれてきた風習もみられます。
告げ人(つげにん)
通信手段が現在ほど発達していなかった時代、山形県では男性が2人1組で近隣住民や寺院に訃報を伝えて回る「告げ人(つげにん)」という習慣がありました。
スマートフォンが普及した現在では失われつつあるしきたりですが、山形県の山間部や秋田県・福島県の一部では、今でも行われているようです。
2人1組で訃報を伝えて回るしきたりは「二人使い(ふたりづかい)」と呼ばれ、近代まで日本全国で行われてきました。
必ず2人1組で行う理由は、穢れを避けるためともいわれていますが、実際にはダブルチェックの意味合いもあったようです。
念仏講(ねんぶつこう)・観音講(かんのんこう)
山形県では「念仏講(ねんぶつこう)」「観音講(かんのんこう)」と呼ばれる近隣住民の集まりがあります。
「講(こう)」とは、もともと同じ信仰をもつ人々の集まりを表す言葉でしたが、現在では近隣住民の相互扶助組織の名称として使われるケースも多くなっています。
近隣の家に不幸があった場合、通夜に「念仏講」が喪家(もけ)を訪れて「御詠歌(ごえいか)」を歌う習わしが残されています。
「御詠歌」は仏様の教えを分かりやすい言葉にして、五七調の和歌形式にしたもので、鉦(かね)などの鳴り物を伴うケースも多いようです。
しかし近年では「うるさい」といった苦情が出ることもあり、都市部で行われることは少なくなっています。
ムサカリ絵馬
山形県の村山地方や置賜地方では、結婚することなく若くして亡くなった方のために、遺族が「ムサカリ絵馬」を奉納するしきたりがあります。
「ムサカリ絵馬」は、故人と空想上の配偶者の結婚式を模した絵馬で、遺族や親族が地域の設けられた観音堂に奉納します。
亡くなった方を結婚させる風習は「冥婚(めいこん)とよばれ、同様の習慣は東アジアの国々に残されているようです。
この風習の根底には、わが子の短い人生を憐れむ両親の想いとともに、輪廻転生(りんねてんせい・りんねてんしょう:仏教における生まれ変わりの概念)に対する仏教の考え方が関係しています。
仏教宗派の一部では、結婚せずに亡くなった方は人生を全うしていないとみなされ、輪廻転生の流れから外れてしまうと考えられていたようです。
こういった事情から「冥婚」の風習が生まれたようですが、故人の結婚相手は実在の人物を描いてはならないとされています。
五七日(35日)法要
多くの仏教宗派では、亡くなった方は浄土に向けた49日間の旅に出ると考えられており、7日ごとに7回にわたって生前の行いについての裁きを受けると考えられています。
そのため本来は、死後7日ごとに忌日(きにち・きじつ)法要を営むのが正式な流れですが、現在では初七日と四十九日の法要以外は省略されることが多いようです。
しかし山形県では、五七日(35日)の法要も省略せずに営む家が多いといわれています。
五七日(35日目)は故人の浄土行きが決まる日とされ、七七日(49日目)に次いで重要な日とされています。
冬季の積雪が多い東北地方では「親族に何度も足を運んでもらうのは申し訳ない」との考えから、葬儀当日に百箇日法要までを繰り上げて行う「取り越し法要(とりこしほうよう)」も少なくありません。
山形県では「取り越し法要」を行った場合でも、あらためて遺族だけで五七日や七七日の法要を行うといわれています。
地域ごとに異なる葬儀のしきたり
散在する平野部を囲むように山々がそびえる山形県では、村山・最上・置賜・庄内の各地方で生活習慣が異なります。
火葬のタイミングや納棺・出棺時の作法など葬儀にまつわる習慣も例外ではなく、通夜・葬儀を避ける日も地域ごとに違いがあるようです。
納棺の儀
故人の姿を整える「納棺師(のうかんし)」の仕事にスポットをあてた映画「おくりびと」の舞台になった酒田市は、山形・秋田両県にまたがる鳥海山(ちょうかいさん)の麓に位置します。
故人の身体を清める湯灌(ゆかん)、死装束の着付け、死化粧、納棺といった一連の流れが「納棺の儀(のうかんのぎ)」と呼ばれる弔いの儀式です。
葬儀の前に火葬を行う「前火葬」が一般的な東北地方では、故人と過ごす最後の時間として「納棺の儀」が大切にされてきました。
しかし山形県では「納棺の儀」の流れや作法も、地域ごとに違いがみられます。
民話「鶴の恩返し」の舞台とされる置賜地方の南陽市では、納棺を「入棺(にっかん)」と呼び、遺族が腰に荒縄を結んだ姿で故人を棺に納めるのが習わしです。
また最上地方では、故人を屏風で取り囲んだうえで、縄だすきにふんどし姿の男衆が納棺を行います。
納棺後は風呂場の洗面器に大根のおろし汁で手を洗い、お清めとして塩やスルメと一緒に酒を飲みますが、一部では梅干しを小さくちぎりながら食べる地域もあるようです。
大根おろしで手を洗う理由は定かではありませんが、清浄な色とされる白色の野菜だからという説もあります。
火葬のタイミング
葬儀の流れとしては通夜式→葬儀・告別式→火葬が一般的ですが、東北地方では葬儀前に火葬を済ませる「前火葬」の地域がほとんどです。
全般的に積雪量の多い東北地方では冬季の往来が困難で、身内の訃報が届いても駆けつけるまでに時間が必要でした。
しかも昔は遺体保存技術も未熟だったため、東北地方では遺体の腐敗を防ぐために「前火葬」の習慣が広まったようです。
山形県も東北地方の他県と同様に、葬儀前に火葬を行う「前火葬」が一般的ですが、酒田市や庄内町周辺では葬儀後に出棺・火葬を行う「後火葬」が通例となっています。
また、全国的に火葬後の遺骨を納める際に陶器の骨壷を使用しますが、山形県では木製の骨箱が一般的のようです。
冬の最低気温が-15℃に達することもある山形県では、あまりの寒さで陶器が割れてしまう可能性があるため、骨壷ではなく骨箱を使用するケースが多いようです。
子(ね)の日・丑(うし)の日・寅(とら)の日
全国的に友引の日には通夜・葬儀を避ける地域が多いですが、山形県の鶴岡市では子(ね)の日と丑(うし)の日を避ける習慣があるようです。
また酒田市周辺では友引と寅(とら)の日には、弔いの儀式を避けます。
干支にまつわる民話では、一番乗りを目指した牛の上にネズミが乗り、最後にゴールに飛び込んで一位になったとされています。
この物語から、連れて行く牛と連れていかれるネズミは、死者が知人をあの世へ道連れにすることを連想させるため、避けられているようです。
一方の寅の日は「虎は千里を行き、千里を帰る」との言い伝えから、死者が戻ってきてしまうというイメージから避けるようになったといわれています。
野仁義(のじんぎ)
山形県の南陽市周辺では、葬儀当日に式場ではなく喪家に弔問に訪れる「野仁義(のじんぎ)」と呼ばれるしきたりがあります。
「野仁義」に参加するのは原則として近隣住民で、地域コミュニティの相互扶助的な意味合いを持つ習慣とされています
出棺
山形県では自宅葬での習慣の際に、玄関ではなく縁側などから出棺する習慣があります。
「故人の霊が迷って戻ってくることなく成仏して欲しい」という遺族の願いが込められた習慣です。
また同じ目的で、出棺時に棺を3回まわすといった風習が残る地域もあります。
同様の習慣は関東から九州までの各地に残されていることから、広い範囲で行われてきた葬送習慣と思われます。
おわりに
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