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宮城県の葬儀における作法としきたり

宮城県の葬儀しきたり

東北地方と関東地方の中間に位置する宮城県は、太平洋側気候に属するため比較的温暖な気候となっています。
地形も東北地方の他県にくらべ平野部が多く、奥羽山脈沿いの地域以外は冬季の積雪量も多くありません。

しかし4月から9月に吹き付ける北東からの風「やませ」の被害を受けやすく、かつては冷害による大きな飢饉に見舞われました。

都会的なイメージの仙台市周辺地域も、近代までは水害や地震などの災害も多かったため、葬送習慣にも影響がみられます。

本記事では、宮城県の葬儀における作法やしきたりについて詳しく紹介します。
地域の葬儀社様にとっては、利用者様からの信頼を得るうえで必要な内容となっていますので、ぜひ最後までご覧ください。

宮城県に伝わる葬儀のならわし

宮城県も東北文化圏に属するため、近隣の他県と共通する葬送習慣が多い反面、限られた地域でのみ行われている風習も残されています。
特に山間部を中心とした地域では、伝統的な葬送習慣を今に受け継いでいるようです。

宮城県の葬儀におけるしきたりは、全体的に遺族・弔問客の双方において相手への思いやりが根幹にあるように感じます。

前火葬(まえかそう)

骨壷

東北地方の他県と同様に、宮城県でも葬儀の前に火葬を行う「前火葬(まえかそう)」が一般的です。
「式前出棺(しきぜんしゅっかん)」とも呼ばれるこの習わしには、地域独特の気候風土が深く関わっています。

今ほど交通手段が発達していなかった時代の東北地方では、雪に覆われる冬季の移動は非常に困難で、訃報を受け取っても駆け付けるまでに時間が必要でした。

そのため東北地方では、遺体が傷むのを防ぐため葬儀の前に荼毘に付す(だびにふす:火葬すること)しきたりが広まったようです。

契約講(けいやくこう)・講中(こうちゅう)

宮城県に限らず、東北地方の人々は厳しい気候風土の中で生き抜くために、近隣住民の結びつきが強い傾向があります。
こういった事情から、宮城県では「契約講(けいやくこう)」や「講中(こうちゅう)」と呼ばれる、近隣10軒ほどの家を1組とした相互扶助組織が機能しています。

組内で不幸があった場合は「契約講」が葬儀を取り仕切るケースも多いため、葬儀社より先に「契約講」の代表に連絡する地域もあるようです。
葬儀の手伝いは「契約講」の重要な役目と捉えられているため、仕事より優先するべきと考えられている地域も少なくありません。

香典返し(こうでんがえし)は即日

香典返し(こうでんがえし)を行うタイミングは、四十九日の法要を済ませた忌明け(きあけ)後が一般的ですが、宮城県では当日返しがほとんどです。
東北地方では即日返しが広く行われていますが、このしきたりにも積雪の多い地域ならでは事情が絡んでいます。

本来の香典返しは、忌明けの報告を兼ねて香典をいただいた方の家を訪ね、直接渡すものでした。
しかし忌明けが冬期にあたる場合は、遺族が各家を訪問するのも難しかったため、遺族の負担を減らすために即日返しが広く行われてきたようです。

取り越し法要(とりこしほうよう)

祭壇

仏教では、人は亡くなると浄土に向けた49日間の旅に出るとされており、その間は7日ごとに生前の行いに対する裁きを受けるとされています。
そのため遺族は故人が無事に浄土に迎えられることを祈り、死後7日ごとに忌日(きにち・きじつ)法要を営んでいました。

しかし近年では初七日法要と四十九日法要以外は省略されるケースが多く、葬儀当日に初七日法要を行うことも少なくありません。
こういった習慣を「繰り上げ法要(くりあげほうよう)」といいますが、宮城県では葬儀当日に百箇日法要までを済ませることがあります。

「繰り上げ法要」の中でも、四十九日忌や百箇日までの追善供養を繰り上げて行うことを「取り越し法要(とりこしほうよう)」と呼びます。
「取り越し法要」のしきたりは雪深い地域で多くみられ、「親族に何度も足を運んでもらうのは申し訳ない」という思いやりから生まれた習慣のようです。

ただし、形式上は葬儀当日に「取り越し法要」を営んだ場合も、遺族のみで正式な忌日法要を行うケースも多いといわれています。

通夜振る舞い(つやぶるまい)は精進料理

精進料理

かつて身内に不幸があった場合、遺族は忌明けまで身を慎み酒肉を断つ(しゅにくをたつ:飲酒や肉・魚などの生臭ものを口にしないこと)のが習わしでした。
とはいえ、近年では通夜振る舞い(つやぶるまい)・精進落とし(しょうじんおとし)でも、そこまで厳しく守ることは少なくなっています。

しかし宮城県内でも都市部を除いた郊外の地域では、今でも通夜振る舞いは肉・魚を使用しない精進料理が主流となっているようです。
お寿司を用意する場合も魚を使用しない助六寿司にするなど、他県にくらべ徹底しています。

宮城県の通夜振る舞いに参加するのは、あらかじめ案内状が届いている方のみで、その他の弔問客は焼香を済ませると、そのまま家路につきます。
また通夜振る舞いに招待された方は、香典とは別に3千円から5千円ほどの「お悔み」を用意するのがマナーとされているようです。

お墓に草履を供える

草履

宮城県では、葬儀から四十九日忌までの期間にお墓参りをする習慣がありますが、その際に草履(ぞうり)や雪駄(せった)を供える習わしがあります。
前述したように、仏教では死後49日間の旅に出るとされていますが、道中で草履が傷むとの考えから行われている風習といわれています。

こういった葬送習慣は他の地域ではみられず、故人への想いから生まれた宮城県独特の習わしのようです。

土葬時代からつづく風習

現在では、火葬率99.9%以上と世界有数の火葬大国となっている日本ですが、宮城県北西部では近年まで土葬が行われていました。
そういった事情からか、土葬が主流だった頃からの葬送習慣が今でも続けられているようです。

葬儀当日に納骨するケースが多いのも、土葬時代の名残(なごり)といわれています。

葬列(そうれつ)・野辺の送り(のべのおくり)

葬列

かつて土葬が行われていた頃は、遺族や親族・近隣住民が柩(ひつぎ:遺体を納めた棺)を埋葬地まで担いで運んでいました。
その際には、僧侶を先頭に遺族を含む葬儀の参列者が葬列(そうれつ)を組むのが一般的でした。

また出棺時には「柩を3回まわす」「柩に結びつけた白い布を引く」といった、いわゆる「野辺の送り(のべのおくり)」の儀式も盛んに行われていたようです。

現在では土葬はほとんど行われないため「葬列」や「野辺の送り」は必要はありませんが、宮城県北部の石巻市や登米市周辺など、葬送のしきたりとして受け継がれている地域があります。

撒き銭(まきせん)

土葬が主流だった頃は、柩を埋葬地まで運ぶ前に菩提寺に立ち寄る習慣があり、その際に「撒き銭(まきせん:小銭をおひねりにして撒く風習)」が行われていました。

現在では実際にお金を撒くケースは少なく、受付で弔問客に渡すのが通例となっているようです。

通夜に白ぶかしを振る舞う

宮城県では通夜振る舞いの際に、もち米に白ササゲ豆を混ぜて蒸かしたおこわ「白ぶかし」を食べる習慣があります。
土葬が主流だった時代には、柩を埋葬地まで担いで運ぶのは体力を必要とする大変な作業でした。
そのため出棺前に力をつけるために、遺族がおこわを振る舞う習慣が全国的に行われていたようです。

火葬が普及した現在では、柩を運ぶのも霊柩車までの短い距離ですが、葬送習慣として今でも受け継がれています。

位牌が二つ

白木の位牌

葬儀の際に大小二つの白木位牌を用意する風習は各地に残されており、宮城県もその一つです。
現在では火葬が多くを占めるため、一つのお墓に複数の遺骨を納める「家族墓」が一般的となっていますが、土葬が主流だった頃は当然ながら個人墓でした。

そのため故人の墓石が用意されるまでは、お墓の代わりに埋葬地に小さい「野位牌(のいはい)」を置いていたようです。
今では「野位牌」をお墓の代わりに使用することはありませんが、宮城県内には葬送習慣として残されている地域があります。

故人の懐に鉈(なた)

宮城県の一部地域では、納棺の際に故人の懐に鉈(なた)を入れるしきたりが残されています。

かつての日本には、故人の遺体を妖怪や魔物が奪いに来るという俗信があり、被害を防ぐために刃物を棺に入れる習慣が各地に残されています。

仏式の葬儀では、棺の上に魔除けとして守り刀を置くことも多いですが、鉈を使用するのは宮城県独特の風習です。
しかし火葬が主流となっている現在では、副葬品として棺に金属製品を入れられないため、この習慣も徐々に消えつつあるといわれています。

地域によって異なる葬送習慣

宮城県は東北6県の中でも平野部が多く、初代藩主の伊達政宗公が治水に尽力したこともあり、県北部は国内有数の穀倉地帯となっています。
また気仙沼石巻女川など沿岸部では漁業が盛んで、リアス式海岸地形を利用した養殖も古くから行われてきました。

一方、運河が張り巡らされた県南地域は、古くから物流の中心地として栄えてきました。
このように地域によって主な産業が異なる宮城県では、地域によって文化風俗も異なります。

天冠(てんかん)・宝冠(ほうかん)

天冠

宮城県北部の登米市や大崎氏周辺では、出棺の際に男性は「天冠(てんかん)」「宝冠(ほうかん)」と呼ばれる三角形の布を額につけ、女性は「かつぎ」と呼ばれる白い布をかぶる習慣があります。
同様の習慣は全国各地に点在していることから、かつては広い地域で行われていたようです。

「天冠」は、故人が閻魔大王(えんまだいおお)の裁きを受ける際に、礼儀として身につけるものといわれており、死装束の一部となっています。
遺族が出棺時に「天冠」を付ける理由は定かではありませんが、故人と同じものを身につけることで「あの世との境まで見送る」ことを表すという説もあるようです。

出棺時に五穀(ごこく)を入れる

東北地方でも太平洋側の地域は「やませ」による冷害で何度も飢饉を経験しているため、「あの世で食べ物に困らないように」といった願いを込めて、棺に食べ物を入れる葬送習慣が残されています。

棺に入れるのは米ではなく、冷害にも強い粟(あわ)や稗(ひえ)・蕎麦の実(そばのみ)といった五穀(ごこく)が多く、隣県の岩手県にも同様のしきたりが残されています。
また県北部の登米市周辺では、遺族が手作りした団子を故人の枕元に置くようです。

湯灌(ゆかん)

納棺師1

「前火葬」が一般的な東北地方では、全般的に通夜に重きをおく傾向が強く、湯灌(ゆかん)を行う地域が少なくありません。
宮城県でも湯灌を行う習慣がありますが、全身をお湯に浸して洗い清めるケースは少なく、タオルなどで拭き清める形式が主流になっているようです。

しかし沿岸部などでは湯舟を使用した湯灌が多くなっており、湯灌に使ったお湯を海に流すといった習わしも残されています。

白石市周辺では香典辞退が多い

宮城県南部の白石市周辺では、伝統的に香典を辞退する家が多いようです。
しかし全ての葬儀で香典辞退となっているわけではないので、事前に確認しておくことをおすすめします。

おわりに

葬儀社様ホームページのコラムとしてこのような記事の掲載をおこなっておくと、喪主様・ご遺族様・ご参列の方々も分かりやすく、興味を持たれる内容かもしれません。

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