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愛媛県の葬儀における作法としきたり

愛媛県の葬儀しきたり

弘法大師が香川県出身ということもあり、四国は全般的に真言宗の多い地域ですが、愛媛県では特定の信仰をもたない方も少なくありません。
葬儀の流れについても、全般的に四国の他県や西日本各地からの影響を受けているようで、近畿から九州の各地で行われている葬儀との類似点もみられます。

とはいえ、古くから地域のつながりを大切にしてきた愛媛県には、特徴的な葬送習慣も少なくないようです。

そこで本記事では、他県との共通点も含めた愛媛県の葬儀におけるしきたりについて、詳しく紹介します。

他地域から転入される方はもちろん、愛媛県で活動する葬儀社様にとっても重要な情報となりますので、ぜひ最後までご覧ください。

愛媛県独特の葬送習慣

愛媛県は、海を挟んで九州地方・中国地方・関西地方と対峙しているため、各地域からの文化的影響を受けているようです。
しかし地域独特の文化習俗も少なくないため、葬儀にも独特の風習がみられます。

合力(こうろく)

合力

愛媛県では、近所で不幸があった際には「仕講組(しこうぐみ)」と呼ばれる近隣住民の集まりが、受付や料理の準備などを手伝う習慣があります。
葬儀後には、お手伝いの方々に何らかのお返しを行います。

愛媛県では、古くから地域住民による助け合い「合力(こうろく)」が盛んに行われており、一部では「強制力を持つ相互扶助」とまでいわれているようです。
「合力」は、何か困りごとが生じた際に周囲の方に助けを頼む代わりに、酒食を供するなどの見返りを与えるという仕組みです。

愛媛県は葬儀費用が全国平均より少ない反面、返礼品や飲食費は他県よりも多いという特徴がありますが、これも「合力」が関係しているようです。

年末の巳正月(みしょうがつ)

巳正月

愛媛県では、家族を亡くした遺族が初めて迎える年末に「巳正月(みしょうがつ)」を行い、気持ちを新たにして年明けを迎える風習があります。

12月の「辰の日」の深夜から「巳の日」にかけて行う儀式のため、「巳正月」または「辰巳正月(たつみしょうがつ)」と呼ばれているようです。
地域によって日取りや呼び名が異なり、東予地域では「巳の日」から「午の日」に行うため「みんま(巳午)」と呼ばれているようです。

年末に餅をついて藁(わら)や縄と共に墓前に持参し、藁を燃やしてあぶった餅を皆で分け合って食べるのが習わしで、そのあいだ口をきいてはいけません。
分けた餅を刀の先に刺して渡すのが本来の作法ですが、一般的な家庭に刀はないため鎌などで代用しているようです。

この風習の起源については、南北朝の争いにまつわるものや、戦国時代の朝鮮出兵にまつわるものなど諸説ありますが、基本的には正月を迎えられなかった将兵の霊を慰めたのが始まりといわれています。

火葬に妻が同行しない

愛媛県では、既婚男性が亡くなった際には、火葬場に妻が同行しないという風習が残されているようです。
一家の大黒柱を失って気落ちしている妻を、周囲の方が思いやって生まれたしきたりといわれています。

しかし現在では、故人の死を受け止めたうえで妻が前向きに生きるために、こういった習慣は消えつつあるようです。

枕飯でおにぎりを作って副葬品にする

おむすび

故人を安置する際には枕元に「枕飾り」を設置し、故人の茶碗にごはんを山盛りにした「一膳飯」や「枕団子」を供えるのが一般的です。

愛媛県では、この「一膳飯」をおにぎりにし、故人の浄土に向けた旅路の弁当として「枕団子」と一緒に、死装束の頭陀袋に入れる風習があります。
地域によっては、空いた茶碗を出棺時に割ることもあるようです。

佐田岬周辺地域で行われる「あらい」

愛媛県の伊予町がある佐田岬周辺地域では、亡くなった方の使用していたシーツなどを海水に晒す「あらい」が行われています。
海水で浄めたシーツは家の北側に干され、シーツが乾いたら成仏できると考えられていたようです。

故人が使用していた布製品を洗い清めて、家の北側や裏手に干すしきたりは他県にも残されています。
栃木県や茨城県の一部地域では、故人の着物を家の北側に7日間干し続け、その間は乾かないように水をかける「七日ざらし」という習慣が、今も受け継がれているようです。

四国の他県でもみられる愛媛県における葬儀のしきたり

葬儀にまつわるしきたりには、四国全域で共通するものも多く、愛媛県でも同様に行われています。
中には由来が定かでないものもありますが、古くから受け継がれてきたため、現在でも守られているようです。

納棺は通夜の翌朝

納棺

全国的には、通夜式が始まる前に納棺されることが多いですが、四国では通夜が明けるまでは布団のまま安置し、葬儀前に納棺する流れが通例となっているようです。

通夜式の原型といわれる「殯(もがり)」では、仮小屋に遺体を運び入れ、一定期間が経過するまで遺族が故人に付き添っていました。
四国の通夜は、この風習に忠実なのかもしれません。

収骨は葬儀の翌日

遺体を荼毘に付された遺骨は当日に収骨されるのが一般的ですが、四国地方では翌日に改めて火葬場に出向いて収骨する「灰葬(はいそう)」と呼ばれるしきたりがあります。
非常に珍しい習慣ですが、その由来については定かではありません。

一般的には、火葬後に行われる僧侶のお勤めを「灰葬」と呼びますが、四国では全く違った意味で使われているようです。

西日本各地からの影響を感じる愛媛県の葬儀

愛媛県で行われる葬儀の流れは、近畿地方の葬儀と共通する部分が多いといわれています。
また中国地方や九州からの影響もみられることから、古くから交流のあった地域との共通点も多いようです。

愛媛県の伊方町周辺地域は大分県とのつながりが強く、県北部の今治市は広島県との交流が深い地域となっています。
こういった事情から、葬儀にまつわる習慣にも、近畿・中国・九州の各方面からの文化的交流の跡がみられます。

黄色水引の不祝儀袋を使用する

近畿地方では、黄白水引を弔事に用いる文化がありますが、愛媛県の松山市周辺でも満中陰法要(四十九日忌)以降は黄白水引を利用します。
黄白水引を用いる習慣は京都府を中心とした近畿地方独特の事情によるものですので、葬儀にまつわる風習に関西地方からの影響があるのは間違いなさそうです。

出棺時に「いろ」をつける

天冠

愛媛県では、火葬場に同行するのは遺族と近親者のみが一般的ですが、その際に三角形の白い布「いろ」を額につけるしきたりがあります。
こういった習慣は、西日本を中心とした地域で広く行われており、地域によって「宝冠(ほうかん)」や「天冠(てんかん)」などと呼ばれています。

死装束にも三角形の布が含まれていますが、これは閻魔大王の前に立つときの正装といわれているようです。

亡くなった方と同じ格好をすることで「あの世とこの世の境目までお供します。その先は一人で行ってください」という意思を表すしきたりともいわれています。

独特な棺回し(ひつぎまわし)の流れ

出棺

愛媛県では、出棺の際に4人1組となって棺を運びますが、その際に棺を時計回りに3周回す「棺回し」が行われます。
「棺回し」は西日本の広い範囲で行われている葬送習慣で、故人の目を回して戻ってこないようにするという意味があるようです。

「迷わず成仏して欲しい」という遺族の願いが込められた風習ですが、愛媛県の「棺回し」は念を入れて行われます。
4人組が棺を回した後で道の真ん中に止まり、参列者が葬列を作って棺の周りをぐるぐると回るのが愛媛県における「棺回し」の作法です。

他県の「棺回し」では、「棺自体を回す」または「棺の周りを回る」の、どちらかしか行わないのが一般的ですので、両方を行うのは愛媛県独自の葬送習慣といえるでしょう。

おわりに

葬儀社様ホームページのコラムとしてこのような記事の掲載をおこなっておくと、喪主様・ご遺族様・ご参列の方々も分かりやすく、興味を持たれる内容かもしれません。

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