高知県の葬儀における作法としきたり
四国の中で唯一瀬戸内海に面していない高知県は、幕末から明治期にかけて徹底した廃仏毀釈が行われたため、寺院が非常に少ない地域となっています。
そのため神道の影響が強く、古くからの民間信仰も残っていることから、四国の他県とは文化習俗が大きく異なるようです。
こういった傾向は葬送習慣にも色濃く残されているようで、非常に特異なしきたりも少なくありません。
そこで本記事では、高知県に今も伝わる葬儀のしきたりについて、詳しく紹介します。
もくじ
高知県の特徴的な葬儀のしきたり
誰とでも酒を酌み交わす「おきゃく文化」と、大皿に御馳走が並べられた「皿鉢(さわち)料理」で有名な高知県では、一般参列者も通夜振る舞い(つやぶるまい)に加わります。
そんな高知県の葬儀では、四国の他県では見られない風習が数多く残されています。
柩(ひつぎ)を蹴飛ばす
高知県では故人が収められた柩(ひつぎ)を、遺族が蹴飛ばすという変わった風習があります。
この習慣の由来は定かではありませんが、「故人を目覚めさせるため」や「故人に成仏を促すため」など諸説あるようです。
納棺までは生きている人と同様に接する
高知県では、故人が納棺されるまでは、生きている家族の一員として通常通りに接するというしきたりがあります。
そのため高知県では、故人を安置するのも専用の白い布団ではなく、故人が生前に使っていた布団をそのまま利用するのが通例となっているようです。
朝な夕なに「おはようございます」などと挨拶し、食事も他の家族と同じものを用意して「起きて召し上がりませんか」と声を掛けるようです。
さらに大川村や土佐町の周辺地域では、故人を病気で寝込んでいる人として扱い、精を付けるために普段より豪華な食事が用意されます。
こういった習慣は「養生見舞い(ようじょうみまい)」と呼ばれているようですが、近年では葬儀場の安置室を利用する方も多く、見かけることも徐々に少なくなっているようです。
羽織袴を逆さに着付ける
高知県では、亡くなった方に羽織袴を着用させる習慣がありますが、着付けの際には着物を裏返したうえ、前と後ろを逆さまにするようです。
このしきたりは、死の穢れ(けがれ)を日常から遠ざけるための「逆さ事(さかさごと)」の1種と考えられます。
身内に不幸があった際に、物事を通常とは異なる方法で実施することで、死を日常生活から切り離すことができるという考えにもとづいた行いが「逆さ事」です。
高知県では他の「逆さ事」として、故人の枕元に屏風(びょうぶ)を逆さに立てる「逆さ屏風」のしきたりが残されています。
「食い断ち(くいだち)」と「願ぶるい」
高知県では、棺に納められた故人の身体に裏返した羽織を上下逆さまに掛け、その上に故人が生前に愛用していた茶碗を乗せるという葬送習慣があります。
茶碗は出棺時に割るのが通例となっているようですが、高知県では「食い断ち(くいだち)」と呼ばれているようです。
出棺の際に故人の茶碗を割るしきたりは各地に残されており、基本的には「故人の現世に対する未練を断ち、成仏を促す」ためのしきたりといわれています。
また出棺の際には、羽織を3回振るという習慣も残されており、こちらは「お願いほどき」や「願ぶるい」「棺ぶるい」などと呼ばれています。
故人が生前にかけた願い事を取り消す意味があるようで、やはり現世への未練を断つための儀式のようです。
副葬品として煮豆を入れる
高知県では納棺時の副葬品として、大豆や小豆などの豆類を煮たものを入れる風習があります。
一度煮た豆は芽を出さないことから、棺の中で故人が「目を覚まさないように」という願いを込めて入れられているようです。
一見するとこじつけに思えるような風習ですが、縁起を担ぐ傾向が強い日本では語呂合わせ(ごろあわせ)のようなしきたりが各地に残されています。
冠婚葬祭行事の際に口にすべきでない言葉を、一般的に「忌み言葉(いみことば)」といいます。
弔事では、「ますます」や「たびたび」といった重ね言葉を使わないのが礼儀とされており、「悪いことが重ならないように」という意味があるようです。
こういった習慣も実際には根拠のないものですが、遺族の心情に配慮したしきたりですので、これからも大切にしたいものです。
「一膳飯」を炊いた釜は初七日まで使わない
故人を安置する際のお供えとしては、茶碗にご飯を山盛りにした「一膳飯」が一般的ですが、大川村周辺の一部地域では「一膳飯」を炊いた釜について、初七日まで使用を控える習慣があります。
この風習の由来は定かではありませんが、おそらくは死の穢れを祓うための行いと思われます。
高知県の葬儀と特殊な宗教事情
日本全国の寺院数(約7万7千)と神社数(約8万8千)は拮抗していますが、高知県では寺院数337に対して神社数は2,316と7倍ほどになっています。
この背景には、明治維新に伴う神仏分離と廃仏毀釈運動が大きく関わっています。
高知県に寺院が少ない事情
幕末の土佐藩(現在の高知県)では、尊王攘夷運動の高まりから「神仏分離(しんぶつぶんり)」と「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」が徹底して行われました。
四国の他県と同様に、かつては高知県にも多くの真言宗寺院(245寺)が存在しましたが、幕末から明治時代にかけて44寺にまで激減しています。
その結果、廃寺の多くは神社に転用され、僧侶は還俗(げんぞく:僧籍を離れること)を余儀なくされました。
還俗した僧侶の中には、神職になった者も少なくなかったようです。
こういった事情から、高知県は寺院が少なく神社の多い状況となり、現在でも寺院が一軒もない地域があります。
仏式の葬儀より神葬祭が多い
前述したように高知県には寺院がゼロの地域があるため、必然的に「神葬祭(神道式の葬祭儀礼)」の割合が高くなっています。
しかし仏教伝来から江戸末期まで、神道では「死」を遠ざける姿勢を保っていたため、葬送儀礼の流れは確立されていませんでした。
そのため現在行われている「神葬祭」の多くは、仏式葬儀の式次第を部分的に取り入れた形式となっているようです。
こういった状況は高知県でも同様で、神道と仏教のハイブリット形式で行われる「神葬祭」も少なくないといわれています。
一軒の家に仏壇と神棚がある
葬送儀礼をみてもわかる通り、高知県の信仰形態は実質的に神仏習合の状態ですので、家の中に仏壇と神棚の両方があるケースも少なくありません。
神道では、不幸があった家の神棚を半紙などで封じるのが一般的ですが、高知県では葬儀場の安置施設を利用する場合は神棚封じを行わない家もあるようです。
民間信仰の「いざなぎ流」
高知県の香美市には、陰陽道をベースにした民間信仰の「いざなぎ流」が継承されています。
民間信仰とはいっても、祭祀の祝詞や呪文は体系化されており、師から弟子に伝承されているようです。
祭祀を執り行うのは「太夫(たゆう)」と呼ばれる神職で、和紙を特殊な形に切り抜いた御幣(ごへい)を用います。
「いざなぎ流」の儀式として行われる「舞神楽」は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
土葬時代から続く高知県の葬送習慣
高知県には、土葬時代から継承されてきた葬儀のしきたりが、原形をとどめた状態で残されています。
火葬率が99%以上となっている現在の日本では、見かけることも少なくなった風習が、高知県では身近なものとされているようです。
近年まで行われていた土葬
高知県は、近年まで土葬での弔いが行われていた(現在も行われている可能性もある)地域の1つです。
2000年台に入って以降も土葬が行われていたようですので、かなり最近といってもよいでしょう。
墓穴を掘り遺体を埋葬(まいそう:土中に埋めて葬ること)したのちに、血縁者の女性によって河原の小石をびっしりと敷き詰めるのが、高知県における埋葬の作法だったようです。
こういった風習を、高知県では「おがみ石」などと呼び、大切に受け継がれてきました。
遺族が故人に添い寝する
高知県では、安置された故人の隣に布団を敷いて、添い寝をする習慣があるようです。
かつての日本には、不幸があった家では故人の遺体を仮小屋に移して、遺族が一定期間小屋に籠る「殯(もがり)」という葬送習慣がありました。
この「殯」が通夜の原型ともいわれており、高知県の添い寝の習慣は「殯」に近いものといえそうです。
女性は麓で引き返す
高知県西部における埋葬地の多くは、小高い山の中腹にあったため、女性親族は麓で引き返すのが習わしとなっていたようです。
この風習の由来は定かではありませんが、子孫繁栄を担う女性を死の穢れから守るためともいわれているようです。
おわりに
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